協和精機の金属切削加工業のこれまで、そしてこれから
- 代表取締役社長
- 立松徳昭
- 協和精機の成り立ちについて教えてください。
- 私の父である立松和雄は、1946年に現在の協和精機の前身である立松製作所を設立し、オートバイ・自動車向け部品(キャブレター)を中心に作っていました。キャスターを付けた機械で、工場のライン変更が簡単にできる先端加工工場を実現しました。
- 私は、立松製作所設立から12年後に生を受け、父や会社を見て育ちました。人と商売がとても好きな子供でした。当時の練馬の我が家は旧家で敷地も広く、集団就職で上京される社員さんの女子寮も兼ねて、毎日団体生活を行っていました。そのため、家族だけで会食出来るのは年数回程度でしたね。かつての集団就職では多くの皆さんが里を離れ、泣き笑いする日々を目にしてきました。
- そんな中、父は大阪万博の1年後の1971年に、油空圧・省力機器部品製造を中心とする現在の協和精機を川越に設立しました。
- 生まれたときから製造業を家業とする家庭で育ったのですね。家業を受け継ぐに至った経緯もお伺いしたいです。
- 私は22歳の時に、当時会長であった父親に入社を進められ、営業部員として配置され主要顧客営業の担当となり、顧客・先輩・同僚・協力工場の皆様と共にたくさんの時間を過ごしました。「人を悲しませるな」という父の教えもあり、多方面の皆さまへの感謝を日々実感しながら受注・売上を順調に伸ばし、信用を広げていくことができたと思っています。
- 社長が入社されてから40年以上が経ち、技術の発達やデジタル化が進む中で、感じることや考えることはありますか?
- こと製造業においては、中小企業の事業継承が非常に難しい時代になってきているのが現実でもあります。そんな中で、事業を新しい時代に合ったより良い形で存続していくため、副社長も迎え、若い力と考え方を積極的に取り入れていくことを心がけ、日々前進を続けていこうと努力しています。
- これまでの製造業のスタイルを塗り替えるためには、挑戦は不可欠です。失敗を恐れずにチャレンジする姿勢をもち、社是でもある「常識にとらわれない新しい発想で期待を超える感動を提供する」という気持ちを持ち続けていきたいと考えています。